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中小企業の事業承継問題について(2) プリント

第2回  老舗蔵元を継いだ二人の差

江戸時代(文政と嘉永)から続く瀬戸内の蔵元に生まれ、昭和30年代に広島大学工学部で醸造学を学び、家業をそれぞれ継いだ4歳ほど違う二人が、それから半世紀後に、一人は長子に家業を承継し、一人は3人の子息に恵まれたのだが家業を廃業して没してしまった。この二つの老舗蔵元とそれを継いだ二人の違いはどこにあったのであろうか。

 二つの蔵元はそれぞれ旧城下町と門前町にある。両市ともに沿岸部に工場があり、いわゆる瀬戸内工業地帯の一角をなしている。違いといえば、一方が先の大戦で空爆を受け焼け野原になり、他方にはそれがなかったことである。昭和30年代後半からの日本経済の高度成長期には沿岸部が工業地域として発展し、それに伴い旧市街の商業地域も繁栄・発展したが、バブル経済崩壊後に、駅前商店街がシャッター街化したのは、他の全国の中小都市と同じである。 

 蔵元の立地条件をより細かく分析すれば、一方は旧城下町のど真ん中に位置し、戦災後の都市計画・道路整備で物理的発展に制約を受ける位置であったのに対し、他方は神社本殿正面の仲見世通りより2区画ほど西にずれた街道筋に位置し、その後背地が田畑であった。この立地の微妙な差がのちのち事業継続に影響したのであった。

二人は広島大の醸造科で学び、共に父親が婿養子であった点は同じだが家族の中での立ち位置は違った。一方は四男二女の末っ子、他方は一女一男の長男。戦前の旧家族制下では、長男は跡継ぎとして大事に育てられたが四男坊はそうではなかった。その四男坊が事業を継いだのは、長兄が先の大戦で戦死、次兄が家業を継いだその後である。当然、二人の性格形成に影響し、事業承継に影響したと考えられる。

日本酒の消費量は、昭和48年(1973年)の1766メガLをピークに減り始め、平成24年(2012年)には593メガLとほぼ三分の一になっている。それに伴い昭和45年(1970年)には全国に3533以上あった蔵元が、平成23年(2011年)には1709まで減っている。ビールや焼酎、さらにはワインなどへの消費者の嗜好の多様化と、人口減という需要構造の変化がその原因である。

昭和45年に3533あった蔵元が激減したのは、戦時中の食糧管理法による、蔵元ごとへの原料米割当制度が昭和43年(1978年)度産米より廃止されたことによる。戦時中、軍に供給する清酒を確保する目的で始まったこの制度は、戦後、灘・伏見などの大手蔵元が地方の零細蔵元の過剰生産分を「桶買い」し、自社清酒とブレンドするか、そのまま販売する商慣習を生んだ。この制度の廃止は「桶売り」を頼りにしていた蔵元には致命的で、数多くの零細蔵元が減産から廃業に追い込まれた。

今ひとつは、特級酒、一級酒、二級酒という級別制度が平成4年(1992年)に撤廃されたことである。アルコール度数により分類する級別制度は、日中戦争の勃発後、金魚が泳ぐと言われた「金魚酒」「薄め酒」が市場に出回ったことから、それらを市場から駆逐する目的で、昭和12年(1937年)に始まった制度であった。

この制度はアルコール度数が主の認定基準であったので、戦後の経済復興期には、米や米こうじの品質を無視した醸造アルコールを大量に混ぜた清酒が出回ることになった。杜氏の経験と勘だけを頼りにし、醸造アルコールでの量を頼りにした蔵元は、アルコールを添加しない純米酒や、新しい活性炭濾過技術で淡麗な味の清酒など、創意工夫で活路を見出す蔵元に比べ競争力がなく淘汰されていった。醸造学を専攻した二人にとっては、腕の見せ所が来た時代であった。

二人の間に差をもたらしたのは、バブル経済による地価高騰であった。戦火を免れた門前町では、市街地の再開発や市道の拡幅工事が始まった。「桶売り」を継続するために、大手蔵元の要求する品質向上とコスト削減に絶えざる努力が求められている最中、先祖代々の土地の一部を売却するだけで、「桶売り」での10年分以上の不労所得を手にすると酒造りに精がでるはずがない。人間の弱いところである。さらに事業意欲を失わせたのが相続問題であった。

長男が家業を継いだのは「桶売り」が難しくなった時期だったが、父親が養子であったので、相続問題はなかった。だが、母親が没し、他家に嫁いだ姉が、「土地・建物は要らない。現金を寄越せ」と言いだしたことから相続争いが始まった。しかも土地売却金頼りの経営も行き詰ってきた。日本経済の大きな流れから見れば、業界の構造変化の波に飲み込まれた廃業だが、廃業に追い込まれた直接の原因は相続問題であった。

一方、兄の下で家業を支えてきた四男坊は、技術を生かした純米酒製造に始まり、新しい酵母、新しい濾過法などによる酒造りを試みた。淡麗辛口など消費者の嗜好の変化に対応するには、杜氏の勘による酒造りでは限界がある。必然的に、醸造技術を有する四男坊が次兄の後継者となった。それまでの杜氏頼りの冬場だけの酒造りからも脱却し、効率的な生産方式を確立し四季折々に合わせたフレッシュな清酒を提供し始めた。 

平成16年に精米度の規制が廃止されると、精米度50%以下の大吟醸酒に加え、全国でも稀な精米度30%以下の幻と言われる銘酒を開発し、長男に事業を承継した。戦前の大家族制で、家業の跡取りとして甘やかされて育った長男と、家業の跡継ぎを約束されない中、好きな醸造学に身を投じた四男坊との差が出たのである。

どこの世界でも同じだが、一企業では抗しきれない構造的変革がある。その時、それにどう立ち向かうかは経営者個人の資質による。この点で、二人には大きな違いがあったと言える。酒造業界は斜陽化したが、日本酒は永遠であると信じ、純粋に家業である「酒造り」に励んだ者とバブル経済に踊らされた者の差である。 

次回は、肉親が事業承継の足を引っ張る「相続」問題を取り上げる。 戦後の民法改正で家長制度が無くなったことから、蔵元だけでなく老舗の多い料亭・旅館・和菓子屋などが、相続問題で廃業に追い込まれている。なぜ相続問題が廃業を招くのか。そこには高齢の経営者が陥り易い盲点・勘違いがある。
文責:廣瀬 薫 (転載を禁じます)  
 
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