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技術者の社会に対する責任と貢献⑫(最終) プリント

12. 中国と日本の技術開発力を比べる

 昨年4月に書き始めたこの連載コラムも今回で12回を数えることになった。連載では多くの話題を取り上げたが、かなりの部分を日本の技術開発力(研究開発力という語とほぼ同じ意味で使用)の現状と将来について、直接間接考えることを書いて来た。

 新聞等のマスコミでは、中国ハイテク製造業の躍進が毎日の様に報道され、それに伴って研究開発の分野でも中国研究者の学術論文の質、量両面における充実ぶりが伝えられている。それらの報道が余りにも華々しい一方、それに比べて日本の研究開発力はジリ貧の一途を辿っている、とする論調も少なくない。この様な日本の将来に希望を見出すどころか、冷や水をかける論調に対する反論も余り聞かれないのは残念なことだ。

 

 学術論文の質を定量的に表す一つの目安として、他の論文に引用された回数が使われることがある。引用回数が多いのは多くの読者が興味をもって読んだ回数が多いことを意味し、インパクトが高い重要な論文とされる。引用回数が上位10%に入る論文(トップ10%論文)のシェアを国別に調べた調査結果が公

表されている(地盤沈下が心配される日本の科学研究、馬場錬成、発明通信社、潮流 (No.88)2017.07.06科学技術振興機構(JST)情報企画部情報分析室伊藤裕子研究員の報告に基づく)。それによると日本のトップ10%論文シェアは調査された27分野夫々でかなりばらつきがある。シェア順位の高い分野には化学、化学工学、材料科学、生化学・遺伝学・分子生物学、物理・天文学などがある。それらの内一例として材料科学分野を見ると、各国のトップ10%論文シェアは次の様になる(図)。

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上記馬場錬成文献のデータを用いて筆者が作図

 材料科学は薄膜の蒸着、結晶成長、イオン注入などのプロセス技術、走査型電子顕微鏡、示差熱分析、質量分析などの分析技術、カーボンナノチューブ、グラフェンなどの新材料、各種の素子製造など日本の得意とする分野である。上図によれば1996年当時、日本はアメリカに続く第2位であり、約13%を占めていた。2015年には日本のシェアは約5%まで下がり、世界トップは中国(約33%)で、アメリカ(約21%)をかなり上回った。

 この様な中国の急成長は、コンピュータ科学など材料科学以外の多くの分野でも見られる。その成長の源泉として上記文献では中国の巨額な国家予算が科学技術支出に振り当てられていることを挙げている。2014年の研究費は、中国が38兆円で、日本19兆円)の2倍である。この年、アメリカの研究費は46兆円である。上記文献では明記していないが、研究費は国家予算の数字ではなく、政府、民間の研究費の総額と思われる。日本の研究者がどれだけ頑張っても、今後中国との格差は開くばかり、と嘆きたくもなる。

 そんな中で2014年に青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学天野浩教授のインタビュー記事が目に留まった。「…日本からの論文数は減っています…大学からの論文数はそれほど変わっていません。企業からの論文が急激に減っているのです。私が学生のころは「応用物理学会」に出ても企業の発表が数も質も圧倒的でした。今、企業は技術をブラックボックス化して戦略的に論文発表を抑えています。なので一概に比較はできないでしょう」(日本の研究開発力は落ちていない-ノーベル物理学賞受賞の名古屋大・天野教授に聞く、佐伯真也、日経ビジネスonline2018.7.17)。

 天野さんの現在の研究分野は「パワー半導体」である。パワー半導体はCPUやメモリといった通常の半導体に比べより高い電圧、大きな電流を扱うことができる。それ故、一例を挙げればエアコン、洗濯機、冷蔵庫などのインバーターに使われる。シリコンのパワー半導体を各社が開発しているが、省エネ化に優れる次世代のパワー半導体として、窒化ガリウム(GaN)、シリコンカーバイド(SiC)等が注目されており、天野さんはGaN結晶のパワー半導体に力を注いでいる。

 天野さんの発言から、中国の論文数増加は驚異的であるが、論文数というデータでは掴みきれない研究の実体があり(企業による技術のブラックボックス化)、そこにも目を向けて各国の研究技術力を評価するべきことが示唆される。

 

それにしても1996年度のトップ10%論文シェア約3%から2012年度の約33%への大躍進を遂げた中国で何が起こっているのだろうか?少し歴史的考察を交えて要約してみよう。2000年代初頭まで中国の技術進歩は主として外国技術の導入によって齎されていた。しかしこれだけではアメリカ等と肩を並べる技術立国には不十分として、2006年から始まった第11次5か年計画では「自主イノベーション(技術革新)能力の向上」を重要課題として掲げた。この方針に呼応して中国からの特許出願や論文発表が増え始め、現在に至っている。

ここでは東京大学教授丸川知雄氏の最近の論説に従い「上からのイノベーション」と「下からのイノベーション」とを区別することによって現在中国で起こっていることの実体に迫りたい(中国企業の革新力・上-市民ニーズ民主導で対処、丸川知雄、日本経済新聞、2018.7.0623)。

 「上からのイノベーション」とは国が技術発展の方向を明示し、国有企業や公的研究機関などによって進められるものである。2015年に中国政府が公布した「中国製造2025」は「上からのイノベーション」の方針と手段を示している。そこでは新世代情報技術、新エネルギー自動車、ロボット、航空宇宙、高速鉄道などが重点領域として挙げられている。

 丸川氏によってこれと対比される「下からのイノベーション」は、人々のニーズや経済的課題に対処しようとするもので、近年とても活発になってきた。例としては自転車シェアリングやQRコード決済が挙げられる。ここからは丸川氏の論説に加えて愛知大学教授李春利氏の論説も参照しながら考察を進める(中国企業の革新力・中-コア技術の自主取得傾向、李春利、日本経済新聞、2018.7.1027)。中国では欧米や日本に比べてクレジットカードの普及が遅れていた。そしてクレジットカードより前にスマートフォンが普及した。更にスマートフォンとQRコードを使って簡単に決済できる高い機能性と利便性からモバイル決済が「キャッシュレス社会」の担い手として急速に台頭してきた。中国はクレジットカードという発展段階を経由せず、欧米、日本等の先進国に先んじてキャッシュレス社会の実現に驀進しているのである。連載第7回に紹介した後発優位と同様な優位性を中国が機敏に活用したと言える。「上からのイノベーション」が先進国にあって中国には無い技術を獲得しようとするキャッチアップ志向を意味するのに対し、「下からのイノベーション」は技術の先進性にこだわらず中国人の所得やニーズに適した技術を追い求める。

 「上からのイノベーション」と「下からのイノベーション」の並行した実践により、中国はこの十数年余り産業技術進歩を図って来た。しかし2018年に入ってからの米中貿易戦争の激化によってこの様相がガラリと変わる兆しが見える。コア技術を抑えている先進国企業と中国企業の間にある技術ギャップの大きさが改めて認識された。言うまでもなく中国が先進国の保有する特許などの知的財産権を侵害しているとの疑念が貿易戦争の根底にあり、アメリカを始めとする先進国は警戒心を強めている。トップ10%論文シェアでの中国の大躍進も「上からのイノベーション」に歩調を合わせ、大学等の研究者が政府の提供する潤沢な研究資金を獲得してきたことと無関係ではあるまい。5月に習近平国家主席が中国科学院と中国工程院開催の大会で危機感を表明した。「鍵となる核心的な技術はもらえるものでも買えるものでもない。こうした技術を自身の手中に入れて初めて国家の経済や安全は保障される(習主席「党主導で科学技術強国」 中国製造2025批判の米を意識か、高橋哲史、日本経済新聞電子版、2018.5.29) 。私はトップ10%論文シェアに見る中国の実力を認めている一人である。数は少ないが、自分が最近読んだ中国研究者の発表論文は質において、日本、アメリカ、韓国などの研究者の論文と同等のレベルにあると感じている。ではあるが、トップ10%論文シェアの数字は飽くまで一つの評価手段と見るべきであって、これからは汲み取れないコア技術の充実度にも並行して注目する必要があると思う。

 現役の頃、研究室で得た知見を特許や学術文献として発表することは、私も人並みに行って来た。それはある種の達成感を与えてくれたが、その先でこの発明を企業化ないし商品化することの難しさを嫌と言うほど味わった。発明から企業化ないし商品化までの距離はとても長いし、途中で行き止まりになることが圧倒的に多い。しかし考えて見れば、この苦しい経験の蓄積こそがコア技術の充実度と呼べるものではないか?天野さんは「技術のブラックボックス化」と表現しているが、この言葉は技術の安易な流出を防ぐために公表を避け、企業秘密として保持することと共に、苦しい経験の蓄積は発表しようとしても成否が見届けられる時期が来るまでは難しいことをも意味している、と考えて良いであろう。

「コア技術の充実度」について付け加えると、多分野の諸企業が共同研究(大学を含むことも少なくない)を積み重ねる経験の多寡、成功回数等がコア技術の充実に貢献する要素の一つではないだろうか?この様な活動は日本の産業界が積極的に行って来たものであり、中国の「上からのイノベーション」に対抗して成長を続ける原動力となると信ずる。

 中国研究者の学術論文の質、量両面における充実ぶりが伝えられるが、我が国の現役の研究者、技術者にはそれらの報道に自信を失うことなく、日本独自の技術上の貢献を一層精力的に続けて貰いたいし、我々OBもその努力を支援することが大切だ。

 

連載の終わりに際して

身の回りを観察していると、技術者OBにはこうした支援に止まらず、自ら社会貢献できる方途があることに気が付く。それは定年退職後も更に仕事を続ける生涯現役の可能性の提供、および少子高齢化時代の労働力不足問題の解決にもつながる。一例を挙げると、パソコン用ソフトウェアの使いこなしがある。人工知能(AI)の時代になっても、パソコンの利用は重要である。複数のソフトウェアを統合しAIで事務作業を効率化するRPARobotic Process Automation、ロボティック・プロセス・オートメーション)が注目を浴びているが(RPA人材育成-派遣大手、人手不足に対応、日本経済新聞、2018.7.1013頁)、その対象となるソフトウェアはユーザーの多いものに限られるだろう。ユーザーが一万人以下のソフトウェア(例、ホームページやミニ新聞の編集)でも、それを必要とする企業、地方自治体、NPO、或いは学校の同窓会などが存在し、今後も当該ソフトウェアを使いこなせる(高度の使い方を学んで行ける)技術者OBは存在感を失わないだろう。その様な技術者OBは後進の育成にも長けていると思われるので、社会において重要な存在であり続けるに違いない。

ソフトウェアを使いこなすことは難しい。私はワードを毎日の様に使っているが、実の所自分に必要な機能を使っているだけである。少し別の使い方をする時には、初心者同様の困惑を感じ試行錯誤を繰り返している。別の使い方でのキーポイントを何とか見付けて成功すると多少の満足感はあるが、少し経つと忘れてしまう。こんな惨めな事が引切り無しに起こる。

 

一年半に亘り雑文を書いてきた。所定の執筆意図は曲がりなりにも達成できたので、今回をもって連載の最終回とする。長期間を通じてのお付き合いに心から感謝致します。

20188

多羅尾 良吉

 

 
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