ダイバーシティ(1)
「米グーグルは7日、『女性は生まれつき技術者に向いていない』などと主張する差別的な文書を公開して物議を醸した男性社員を解雇した(日本経済新聞 2017.8.8)」。この記事を巡って性差別の現状、社会に求められる多様性(ダイバーシティ、diversity)、包括性(インクルーシビティ、inclusivity)などの議論がなされた。
多様性に代えて、以後ダイバーシティという語を使わせて頂く。片仮名書きの英単語を安易に使うのは良くないが、多様性と言う語はより広い意味で用いられるので、本稿で使うとやや曖昧な感じを与える。それよりも意味が伝わり易いダイバーシティという語を使うことにする。対照的にインクルーシビティという語はアメリカでは普通に使われているが、日本では余りお馴染みがないので包括性という語を使うことにする。
筆者は本稿でこのグーグルに関する報道を読んで気付いたことは述べて行くが、事件自体を深追いすることはしない。但しこの報道を読んで、改めてダイバーシティと包括性については、その理解を各組織に根付かせることの成否が、前回に触れた人材の流動性の実現とともに、日本の今後を左右するものであると考えている。
安倍政権発足以来、2015年に女性活躍促進法が成立した。また一億総活躍社会という言葉が盛んに用いられている現在、ダイバーシティという語は企業などでの女性管理職の数を増やすべしとする議論に現れることが多い。しかし女性の登用に限らず、多様な国籍の人、様々な経歴を持つ人や幅広い年齢層の人達を構成メンバーに加えることで組織の活性化を図る時などにも使われ、対象は女性に限るものでは無い。それでも人口の半数を占める女性の社会参加は重要であるので、まず女性を対象として考えて行く。
言うまでもないが、男性、女性のどちらが優秀か?という議論をしようとするのではない。大雑把に言うと男性の方がより適している機能、或いは女性がより向いている機能を拾い出すことも出来るだろうが、今日の日本社会では、女性は特殊な職種を除いて、最近まで男性が相応しいとされていた多くの職業に就いて活躍している。その例は、身近な所では宅配便の配達員兼ドライバー、タクシードライバー、婦人警察官など、ジャンルは違うがオーケストラの楽団員など枚挙に遑がない。企業の取締役会メンバーや社長、NPOの理事長などでは遅れているが、これらの要職に就き、際立った業績を上げている女性も各方面で最近増えつつある。
反対に女性が相応しいとされていた職業で男性の進出している職種もある。看護師の領域では、数こそ少ないが男性であるが故に貴重な働きをしている人も目にする。私はこれまでに数回、泌尿器科に入院したことがあるが、その折に男性看護師から同性ならではの有り難い助言や、退院までの生活指導をして頂いた。回復できるか、障害が残らないか、有害な生活習慣を無自覚に引きずっていないかなどの不安を抱きながらの入院生活であったが、彼のお蔭で元気に退院できた。最近役割が注目されることが多い介護士についても、以前に友人が入っている介護施設を訪問した時の観察で、介護士の領域では男女とも同等に働いていることが良く分かった。深刻な人手不足が報道される保育士の分野でも、近年男性がその特性を生かして進出している。
とは言っても、現代に見られる夫婦共働きが当たり前という生活様式は歴史が浅く、日本では此処二、三十年のことであり、それまでは女性は家庭を守ることが本来の責務だと見られていた。事情はアメリカ等海外でも、共働きが普通になった時期が早いか遅いかの差はあったにせよ同様であった。そうした事情が大きかったせいか、例えば化学、物理、医学生理学のノーベル賞受賞者は設立年(1901)から2017年までに計599人に上っているが、女性は僅か18人(3%)である。18人の内、マリー・キュリー(Marie Curie)は化学賞と物理学賞の二度に亘る受賞で勘定されているので、上の数字は17人と言うべきかもしれない。これは幾らなんでも少なすぎるし、明らかに性差別が行われており、しかも世の中はこの差別を容認していたとする見解を昨年八月、アメリカ化学会での一講演でハンガリーのMagdolna
Hargittai教授(Budapest
University of Technology and Economics)が発表した(Stu
Borman, Chemical & Engineering News, September 11, 2017, page 22)。この記事では、公正に評価されれば当然受賞したであろう13人の女性科学者の名前を列挙している。DNA二重らせんの構造決定にX線回折像撮影によって寄与したフランクリン(Rosalind E. Franklin)はノーベル賞級の業績を上げながら、ワトソン、クリックの受賞の前に死亡して受賞者に入らなかった。その他、化学薬品のもたらす環境汚染を取り上げた「沈黙の春」を著し、現代の環境保護運動の先駆者となったカーソン(Rachel Louise Carson)、ラングミュア・ブロジェット法による単分子膜作成に成功したブロジェット(Katharine Burr Blodget)等の名前が含まれている。
科学以外の分野でも当然受けるべき名声を得ていない女性達がいる。最近話題になることが多い葛飾北斎(1760-1849)の娘、葛飾応為(生没年不許)は北斎の後半生に父の協力者として働き、優れた作品を残した人である。しかし、大部分の作品には父の名前のみが記され、彼女の単独の作品と認められている物は十点前後である。北斎が既に定評のある浮世絵画家であり、注文は専ら父を通して来た。また、父の名前で出した方が値段も高く出来たことなどが彼女の名前の付いた作品が少ないことの理由と考えられる。しかし画風は父とはっきり異なっていて、「もう一人の北斎」と呼ばれるにふさわしい人だった。
このように肉親や配偶者の共同制作者でありながら、ほぼ無名で終わった女性芸術家は少なくなかったようである。音楽で言えば、ヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)の第二の妻アンナ・マグダレーナ・バッハ(Anna Magdalena Bach, 1701-1760)は夫と見分けがつかない程の作曲技量を持っていた。従来バッハの名作とされ親しまれてきた無伴奏チェロ組曲が実はアンナ・マグダレーナ・バッハの作品だったとする説が最近現れた。マーチン・ジャーヴィス(Martin Jarvis, professor and lecturer of
music, Charles Darwin University)が提出したもので、BBCによりテレビ放送され、私もNHK BSで視聴した。ジャーヴィスの研究は筆跡鑑定などの科学的証明に基づいており面白く思ったが、定説となるには至っていないようだ。
この様に見てくれば、世の中の大部分の仕事は男性、女性の両性ともにこなせるものと考えて良いだろう。但しそのこなし方は一般的に明らかな相違点がある。そもそも、何らかの仕事の遂行に際して、得意或いは不得意とするやり方が男女では違っていることが多い。この様な事情があるので、一つの委員会、あるいはタスクチームを男性だけで構成する場合に比べて、複数の女性を加えた場合は男性からは出難い別の考え方が討論の場で出てくることが多く、それに刺激を受けた男性の思考も活性化されて、全体として良い方向が見えてくる可能性が高まる。「今までこうしてきたから」という前例尊重の結論でなく、自由な物の見方から出発した結論が得られるだろう。
こうした考え方は欧米では既に定着している。あるアメリカの大手資産運用会社が、議決権行使を通じて取締役に女性がいない企業に起用を促すための指針を、日本企業にも適用すると発表した。同社は取締役会に女性役員や女性役員候補がいない場合は、株主総会で取締役選任議案に反対を投じると表明している(日本経済新聞2017.11.17、7頁。同様な発表がアメリカの議決権助言会社からもなされた、 日本経済新聞2017.12.1、15頁)。女性役員が取締役会で投資などの意思決定に適切な貢献できるかどうかにこだわっていると言うよりも、ダイバーシティの重要性を認識し、まともに取り組んでいることが会社の業績を向上させるのだ、という考え方が常識になっているのであろう。
アメリカ政府の閣僚や補佐官、報道官の構成を見ると、以前の民主党政権でも共和党の現政権でも、重要ポストに少なからぬ女性が就いており、大活躍をしている。日本でも女性閣僚はいるが、話題作りに過ぎないのかと疑うほどで存在感は余り感じられない。閣僚などハイクラスの政治家、企業の取締役会メンバーや社長、NPOの理事長などの要職に就く女性の比率が大いに伸長することを期待したい。
2018年1月
多羅尾 良吉
|