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技術者の社会に対する責任と貢献⑤ プリント
2017/08/10 木曜日 09:58:58 JST
5.博士の活躍する社会
 博士が安心して働ける職に就きにくい状況を打開できないか?と言う思いから、前回に続いてこの問題を考えることとした。
博士が安心して働ける職に就きにくいという問題意識を背景に、理工系で博士号を取得した人の進路として、これまで正統的と考えられていた大学、企業の研究職以外のものへの就職分野を積極的に開拓するべきだ、とする意見が最近増えてきた。具体例としては、科学行政官、サイエンスライター、美術館・博物館の収蔵品保存、修復家、ベンチャー企業創業などが挙げられる。この様な従来正統的とは考えられていなかった職業分野への博士の進出については、京都大学大学院総合生存学館教授の山口栄一氏(イノベーション理論、物性物理学)と東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章氏(2015年ノーベル物理学賞受賞)の対談(「若い研究者の待遇は、あまりにひどい」(日経テクノロジー Online 2017.06.16)、「研究者の頭脳と時間を違うことに使いすぎ」(日経テクノロジー Online 2017.07.04))においても言及されている。両氏は、福島の原発事故やSTAP細胞論文問題を例に挙げながら、博士号を持つ人がメディアに積極的に進出して欲しい、そしてこれらの社会的インパクトの大きい科学技術の議論を一般市民に分かるような形で展開して欲しい、としている。
  理工系で博士号を取得し、更に博士研究員の仕事を体験した人達の中から、科学を基盤としてはいるが、伝統にとらわれないキャリアを選んだ人の実例を幾つか記そう。主としてアメリカのケースである(アメリカ化学会の機関誌、Chemical & Engineering Newsに基づく。発行年月日、引用頁を記す。取材された個人の実名は省略)。
 あるナノサイエンスと生化学の女性研究者は、ケンブリッジ大学(英)で博士号(PhD)取得、サセックス大学(英)他一校で博士研究員として働いたのち、Science誌の編集員(editor)募集に興味を引かれて応募し採用された。四年後に上席編集員(senior editor)に昇進し現在に至っている。科学者のアイディアを科学者社会の内外に分かり易く伝えることに喜びを感じて仕事に取り組んでいる。将に先に引用した山口、梶田両氏の期待するような、科学者出身ならではの活躍ぶりである(November 7, 2016, page 32)。
 生物学を学び次に化学に進んだ男性研究者は、ロチェスター大学でPhD取得、コロンビア大学で博士研究員として働いたのち、Medical Tribune紙の編集員と接触し、テストとして記事を書き即時採用された。以後25年間同紙の記者、編集員として働いた。博士研究員の頃、自分は論文を書くことが他人よりも好きだと気付いたのが、このコースを選ぶきっかっけだった、と述懐している(December 5, 2016, page 34)。
 レーザー分光学専攻の女性研究者は、シカゴ大学でPhD取得、ウィーン工科大学(オーストリア)で博士研究員として働いたのち、アメリカの国立研究所を経て、助成金供給機関であるNSF(National Science Foundation、全米科学財団)の副部長(学際研究)となった。アフリカ系アメリカ人であり、マイノリティーの博士研究員を支援したい思いがこの選択の一因であった(August 1, 2016, page 26)。
 製薬化学専攻の男性研究者は、ハーバード大学で博士研究員として働いていた頃、友人と製薬ベンチャー企業を立ち上げていた。その後同大学で教職についていたが、テニュア(tenure、終身在職権)を持っていなかった。いずれはテニュアが受けられると楽観視していたが、結局受けられず同大学を去ることになった。大学教授職を目標にしていたので、失意と衝撃は大きかったようだ。幸い彼は自ら立ち上げたベンチャー企業が順調に業績を上げていたので、その企業の社長となり、現在に至っている(September 19, 2016, page 32)。
  これらの博士研究員経験者達は、大学や大企業の研究職のコースとは違う伝統にとらわれないキャリアを選んだ人達であるが、本人も満足しているし、傍目にもPhDに相応しい仕事に恵まれていると感じられる。特に博士研究員経験者が新聞、テレビなどのメディアへの進出することは、山口、梶田両氏の言を待つまでもなく科学報道の質を上げる意味でも非常に重要である。とは言っても、この様な職業が伝統的なコースに肩を並べる程一般的なものとは言えない。

   博士研究員経験者を含めて博士の就職難の本質は、社会が何人博士を必要としているか?という、需要と供給のバランスに関係している。アメリカでも毎年大学院を巣立つ博士の数が多すぎるという声は強い。化学系のみで見ると、博士号取得者の人数は1999-2005年には約2,050人/年であったが、2006-2009年では約2,400人/年と増えている(NSF及びアメリカ化学会データ、Bethany Halford, www.CEN-ONLINE ORG January 31,page 46, 2011)。日本での比較できるデータは、理学、工学系の博士号取得者約5,000人/年(2010年、科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2014」より)である(化学系を含む、より広い分野の数字)。
  博士課程の定員をもっと絞り、平均的な学生を受け入れないこととするべきだ、という意見もある。新しいアイディアを追求するのは、平均的な学生ではなく、幼い時から科学に専念している学生であり、彼らに限って入学させるべきだという訳だ。あたかも音楽や美術のプロを目指す若者が幼少時から厳しい訓練を受けているのと同様な資格を想定している。
  これは極論であって、飛び級をするような早熟な学生だけが新しいアイディアを出せるとは限らない。音楽や美術のプロを目指す若者には夫々の世界で活躍する先人の姿が見えており、それらの先人(華やかなスター)をロールモデルとして幼少時から練習に励んでいる。他方科学技術は日進月歩であり、陳腐化も早く、ロールモデルを見付けることもそれ程容易ではない。大学、あるいは大学院に行ってから初めて特定分野に興味を持ち、その後の努力で良い仕事をする人がむしろ大多数であろう。勿論、特定分野に興味を持つには、それまで近い分野に関心を持って努力して来た人が有利であろう。
 このように考えると、早熟な学生のみを受け入れるというのも、あるいは需要と供給のバランスに余り神経質にならず、伝統にとらわれないキャリア志向を奨励するというのもいささか現実離れしているように思う。大学教員の採用枠が限定されていることを考えると、矢張り企業が博士の価値を認めて採用を増やすことが博士の就職難対策として最も現実的であり、今後の社会の発展に寄与する多くのブレイクスルーを産み出すことになるだろう。
  この議論は中々決着がつかない。大学教員の採用枠が限定されていること同時に、企業の博士採用数も業界の景気に左右されることも忘れてはならないとする意見がアメリカで強調されている。博士課程の定員を現在より少なくし、好景気で人材不足となったら、他国で修業した外国人の博士を採用すれば良いとするアメリカならでは割り切った意見もある。
  アメリカでの博士号取得者のうち、外国人が44% を占める(2009年データ、physical science対象)。博士研究員(postdoctral fellow)となると外国人の比率は更に増え、化学では50%以上になる。
  その科学大国アメリカでも、トランプ大統領就任後、科学技術予算削減や、外国人の入国制限などが打ち出されており、アメリカに端を発する世界的な博士就職難時代の到来が大いに懸念される。     
                                                 2017年8月 多羅尾 良吉  
 
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