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心のビタミン・一週一話「父への感謝 」( Vol.1) プリント
2009/04/14 火曜日 07:39:10 JST
皆さん お待たせしました。
中断していた「ビタミン」を今週より【心のビタミン・一週一話】として、今後2年間、毎週1回、発行します。
私がその週に出会った人、体験した感動などを書きます。
皆さんにとって気づきとなれば、うれしい限りです。
また、コメントや感想など、どしどし寄せてください。
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先々週の土曜、私は急遽、故郷-中国紹興に行ってきました。
弟より、父が危篤だという知らせがあったからです。
その2日前、父は食道ガンのため、手術を行った。
手術そのものは成功したものの、以前から肺結核を患っており、そのため、タンがなかなか吐き出せず、のどが詰まったのです。
2日間の救急治療を受け、幸いに一命をとめることできました。
紹興に滞在し、父の看病はわずか1日半でしたが、少しは父への親孝行ができ、幸せいっぱいでした。

私は4人兄弟の長男として、生まれました。
私が生まれたのは、大変な食料難の時代で、両親にとって食べ盛りの4人の子供を育てることは、容易なことではありません。
白いご飯を食べられるのは、週1回程度で、いつもは、おかゆか、芋やトウモロコシなどの「雑糧」でした。
茶碗蒸し1つでも、4人兄弟で分け合い、父と母の分は当然なかった。
父は、昼はお茶工場のエンジニアとして働き、夜は村の経理として、深夜まで働いていました。
母は、父のそばで、子供の着物を作りながら、お茶を出してあげたり、夜食を作ってあげたりして父を支えていた。
こうした夫婦の睦ましい姿は、私にとって、理想の夫婦像でもあった。

子供時代、私は、父と遊んだ覚えはなかったが、父は私の成長には、大きな影響を与えてくれた。
5歳頃、ある日、私が父の工場に遊びに行った。
父は、エンジンのアクセルを弄らせてくれて、私が一気にアクセルを引いてしまい、エンジンが暴走し、ほんとうに死ぬほど怖がったと今も覚えています。
大学の時に、私がラジオを製作したいと父に相談したところ、父はすぐに賛成してくれて、部品を買い集めてくれたりして、そばにいて、助手役をしてくれた。
いま、私が技術や事業に挑戦しているが、自分の好奇心やチャレンジ精神は、父の影響が大きかったと感じております。

4月は新人が入社されています。
上司の皆さんは、親心で思い切り新人にチャレンジさせてほしい。
成功になれば、新人にとっては、自信につながるし、失敗しても、きっとよい経験や教訓になります。
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PR: 当社は2009年度の新卒を募集中しています。
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yan.jpg筆者プロフィール
 氏名: 楊 仲慶(ヤン ツォンチン)
 生年月日: 1962年6月1日
 出 身 地: 中国浙江省
略歴:
 1983年7月: 中国浙江大学電気工学部 卒業
 1990年9月: 東京工業大学電気電子工学科博士を取得
 1990年10月: 東洋電機製造(株)技術研究所入社
 1994年1月: 東洋電機製造(株)退社
 1993年7月: マイウェイ技研(株)設立
 1999年11月: 西安交通大学 特聘 教授

 
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